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ヤゴル

2

夕方、父親は畑から戻る途中、鍋の入ったバスケットとヤゴルのハンカチを見つけました。家に帰ると、妻が納屋で牛の乳搾りをしています。
「ただいま帰ったよ!お弁当はどうなっちゃったのかい?ヤゴルはどうしたんだい?」
「さぁ、知りませんよ。ヤゴルの心配なんかよして下さいな。あの子はあなたにお弁当さえ届けられないじゃありませんか。パンの口減らしになってちょうどいいでしょ。」
「そうだね。」と夫は答え、二人は夕ご飯のために家に帰ります。
 夕食を食べ終わったとき、妻は、ひとかけらのパンが残っているのを夫に見せました。しかし、夫はそれを見ても嬉しい気分にはなれませんでした。
 妻は寝床へ行き、夫は家畜の面倒をみるために納屋へ向かいます。ひとりっきりで家畜の世話をするうちに、夫の気持ちはさらにつらくなりました。牝牛さんとヤギさんに見つめられると、自分の心が捕まれたように感じます。そして、あの残ったパンのことを考えても、同じような気持ちになるのです。
 彼は納屋の戸口の敷居に腰を下ろして夜の暗闇を見つめます。
 外は月が輝いています。その月の光に照らされると、家と納屋がまるで二つの小さな握りこぶしのように、また、畑と庭は二つの手のひらのように見えます。それらすべてが地面の藁(わら)でぐるりと囲まれているのです。畑には三本の畝(うね)があり、どれも耕されていました。

参考:藁の列を写真で見る

「来年は三本目の畝を耕さなくてもいいんだ。」と父親は考えました。今までほどパンが必要ではなくなったことを思い出したからです。しかし同時に、三本目の畝(うね)無くしては、最初の二本を満足に耕すことなど到底出来なかったとも思うのです。鋤(すき)は木で出来ており、地面は頑固です。もしも心に喜びがなければ、苦しくて死んでしまうでしょうし、一生懸命畑を作ってもすべてが水の泡です。
「ご先祖様たちは喜んで耕した。父親たちはみんな息子のためにそうしてきた。なのに、この罰当たりな自分ときたら、息子を死なせ、心の喜びと畑作りの喜びの両方をだめにしてしまった。」
 考え始めて間もなく、脇の戸のところで声が聞こえました。これがもしもまやかしでなければ、何かの奇跡に違いありません。
「子供を捜しに行きなさい。」とその声の主は言います。「あの子は、ポルドニツァ婆さんの洞穴の中にいる。列に並んだ藁のそばの道を辿りなさい、そして瓶についていたカップに水を入れて持ってお行き。洞穴に入って通路に沿って進み、ひどい熱さを感じたらそのカップの水を飲みなさい。ポルドニツァ婆さんが先にそのカップに口を付けたから、もう何事もお前様を傷つけたり出来はしない。勇気を出して子供を連れ戻してきなさい。」
 父親はすぐに立ち上がり、水の入ったカップを持って藁の列を辿ります。洞穴を見つけて中に入り、通路に沿って進むと、あのものすごい熱気が入り込む、地下の広場に出ました。 十二個のオーブンと、その周りでは召し使いたちが、火の中の悪魔のように動いているのが見えます。そしてその中心では、わが息子がその灼熱地獄の中で、物凄く大きくて真っ赤な雄羊と戦っているのです。
 父親は悲しみのあまり我を失い、カップの水を飲むのを忘れています。そのかわり、息子の名前を呼ぶためだけに口を開きます。しかし、口を開けたとたん、たちまち熱で喉が焼かれてしまいました。父親は自らの喉をつかみ、「今までの自業自得だ。」と後悔しました。そして彼はまるで穴の中のモグラのように息絶え、彼の疲れきった魂は、神様による最後の審判に委ねられます。
 翌朝、継母は夫が見当たらないことに気がつき、表に出て少しの間名前を読んでみました。けれど、何の返事もありませんでしたので、探しに出かけました。それでも見つからないので、夕飯まで待つことにしました。彼は夕食時になっても家に帰らず、継母は敷地の真ん中に立って辺りを見回し、両手をすり合わせて言いました。
「よし。昨日まではあの人のものだったけれど、これからは私のものさ。」
 彼女はそう言うと、家に戻り、掛け金をかけて戸を固く閉めました。そして、ヤゴルの本当のお母さんが子供に残した麻布を引っ張り出してきて、ろうそくを灯し、自分のためにブラウスとドレスを仕立て上げました。
 納屋の中では牛さんとヤギさんが悲しんでいました。その晩、二人とも藁には一本も手を付けませんでした。とても食べるような気分ではありません。そして夜が深まり、家の中のすべてが寝静まった頃、牛さんがヤギさんに言います。
「どうしましょうか、ヤギさん。」
「そして、他に何か私たちに出来ることはありませんかね、あの子を探しに行きましょうか。」
 バガンも飼い葉おけに登ります。親指ぐらいに小さく、足には馬の蹄(ひづめ)を持ち、そして人間の頭に鬼のような小さい角が生えています。バガンは牛さんとヤギさんに言います。
「お行きなさい、ほかには方法がない。」
牛さんは考えながら言います。
「どこへですか、私たちだけで一体何がわかりましょう。一緒に来てください、バガン。あなたは私たちよりも賢いのですし。」
「では、誰があの子のためにここを守るんだい?私は残って、君たちが行くんだ。」とバガンが結論を出しました。バガンは、牛さんが飼い葉おけにつながれていた紐をすべてほどきます。そして、ヤギさんがつながれていた紐もほどきます。ヤギさんは言います。「飼い葉おけのところの紐をほどいて、残りは私の角のまわりに巻いておいてください。あとで使えますから。」
 バガンは頼まれた通り、紐をヤギさんの角に巻きつけます。そして、納屋の戸を開けると、牛さんとヤギさんがヤゴルを探しに夜の暗闇の中へ出かけていきます。バガンはヤゴルの土地を守るために残ります。
 牛さんとヤギさんは、どこへ行けばよいのか、また、どの道を辿ればよいのかもわかりません。でも、バガンは二人に、岩丘へ行って、岩が一番高くて一番恐ろしい場所でヤゴルを探すようにと言ったのでした。
 最初の日、二人は野原をいくつも通り、水はいくらでもありました。牛さんは食べたいだけ食べ、きれいな水を飲みました。二日目、二人は深い茂みを抜け、小川を見つけました。ヤギさんは食べたいだけ食べ、きれいな水を飲みました。三日目、二人は乾いた岩の丘に入って行きました。食べられるような草もあまりなく、水といえば泥の水溜りだけです。四日目は松の木とモミの木だけで、水は一滴もなく、岩はますます剥き出しで険しくなっていき、牛さんは力尽きています。もう一歩も動けなくなったとき、牛さんは悲しくなって言います。
「ヤギさん、私はもうこれより先には行けないわ。ほら、頂上はまだあんなに高い。」
「ここのモミの木の下に横になって、待っていてくださいな。」とヤギさんが言います。「もし私たちが二人ともこの高地で参ってしまったら、ミルクも出なくなり、あの子にあげることも出来ないわ。私があの子を助け出しに行きますから、あなたは養ってあげてね。」
 牛さんはモミの木の下にとどまり、ヤギさんは前へと進みます。もっともっと登ると、岩はますます剥き出しで険しくなり、やたら高くて、天国そのものにむかって尖(とん)がっています。ヤギさんは足から血を流していますが、鉄壁の上のところにやって来ました。眼下には、崖で囲まれた巨大な盆地が見えます。その上の空と空気は、熱のせいで白くなってなっていました。
「ここの岩石のなかでこれよりひどい場所はないわ。あの孤児(みなしご)はきっとここにいるはずよ。」とヤギさんは言い、崖っぷちに登りました。そこは、坂と鉄壁の境目にあたり、ヤギさんは眼下の壁の向こうを見下ろします。
 その壁は人ふたり分ほどの高さで、ガラスのように滑らかですが、地獄のように熱いのです。その下の盆地では、あの子が眠っています。この四日間で疲れ果て、岩石の上で体を伸ばすと、眠りこんでしまいました。
 ヤギさんは子供を呼びますが、この子には聞こえません。ただ、あの巨大な羊たちが恐ろしい頭をもたげるだけです。とはいえ、奴らにいったい何がわかりましょう、図体(ずうたい)はバカでかいけれど、再び頭を下げあの銅のような葉っぱを食べていて、その赤い頭のまわりでは火花が散っています。
 ヤギさんは、小さな石を蹴りました。それは子供のそばに落ち、彼は目を覚ましました。ヤゴルがまぶたを開けると、頭上に茶色いひげと二つの小さな角と二つの目が見えます。たとえその目が神様から送られた天使のものであっても、これほどいとおしく思えることはなかったことでしょう。子供は飛び上がり、腕を高く伸ばして言います。
「ヤギさん、どうか助けて!」
 ヤゴルがヤギさんにそう言ったとき、そしてヤギさんがこの子の声を聞いたとき、ヤギさんは自分の足が血を流し怪我していることも忘れ、ただもう子供のところにたどり着きたくて、また、子供に自分のもとに来て欲しくてたまりません。
 ヤギさんは壁の上のところで踏ん張り立ち、頭を振りました。紐が解(ほど)け、その端がちょうどヤゴルの手のなかに落ち、もう片方の端はヤギさんの首に縛りついています。
ヤゴルは紐を握りしめ登り始めます。高く、高く、そしてついに彼の両手がヤギさんの首まわりに届き、ヤゴルは嬉しくなりました。そしてヤギさんが子供を壁の上に引っ張り上げ、この地獄のような盆地から彼を救い出すと、ヤゴルといっしょに石の上に横たわり、息を吸います。
 やっとヤギさんと一緒になれた子供は、ヤギさんを一時たりとも離すことが出来ません。二人はこのように隣り合わせに並んだまま長い間横たわり、まるで恐ろしく高いところに登ってしまった二匹の蟻のようでした。
「ヤゴルくん、いらっしゃい。」ついにヤギさんが言います。
「行けないよ、ヤギさん。喉がカラカラなんだ。ミルクを少し飲ませてくれないかい?」
「私にミルクはもう残っていないの。体が乾ききってしまって。牛さんのところに行きましょう。」
 二人は、おなかがすき、喉が乾き、怪我をしながら急な坂を下ります。命の危険にさらされた二人は、落ちないように、子供はヤギさんに、またヤギさんは子供にしがみついて、なんとか幸運にもモミの木のところに辿りつきました。
 モミの木の下には牛さんが横たわっています。日陰の中で気持ちよく休むことができ、雨のしずくを飲んだりしたので、この二日間何も食べていないにもかかわらず、彼らを喜んで迎えることができました。
「心配することないわ、お二人さん。あなたたち両方に私のミルクをあげますから。」二人は横たわって思う存分飲み、嬉しそうに言いました。
「牛さん、あとでもっと柔らかくていい草をみつけてあげますね。あなたはおなかがすいているのに、私たちを養ってくれたのだから。」そして皆立ち上がり、モミの木の林を抜け、石の地面を越え、茂みを通り野原を横切って、牛さんとヤギさんが来たちょうど同じ道を辿って帰りました。牛さんとヤギさんには四日間かかった道のりが、ヤゴルと一緒だとたった一日で家へ戻ることができました。

つづく